2011.04.13
土の道が随分少なくなってきましたね。ほとんどの道がアスファルトかコンクリート。きもので歩く時には土の道はやっかいですが、何だか寂しい気がします。
四角いレンガやタイルで作られた歩道はよく見かけますが、これは
麻の葉
六角形を基本に構成された幾何学模様ですが、のちに形が麻の葉っぱに似ている事からこの名前がつきました。
赤ちゃんのオシメが布だった時代、この麻の葉文様は好んでオシメに使われました。麻は成長が早く丈夫なことから「麻の葉の様にすくすくと健康に育って欲しい」という親の願いが込められていたのでしょう。
また、この模様をみて歌舞伎を思い出す方もいらっしゃるでしょうね。江戸時代、江戸では、人気の歌舞伎役者がこの麻の葉文様の振袖を着て「八百屋お七」を演じ、一方上方でも、人気役者が「お染久松」のお染を、同じくこの麻の葉の衣装で演じ、それらが大ヒットして一大麻の葉旋風が吹き荒れたのでした。
ちなみに「八百屋お七」というのは……
火事で焼け出された八百屋の娘お七一家。お七は避難先の寺の小姓に恋をした。自宅が修復され、我が家に戻ってからというもの、お七は彼に会いたくて会いたくてしかたがない。「そうだ!また火事になれば、あのお寺にいける!彼に会える!」と16才のお七、自宅に火をかけ、おりからの強風で江戸中大火事。お七は放火の罪で火あぶりの刑に。
……私、以前、この八百屋お七の墓の近くに住んでいました。
「お染久松」というのは……
油屋の娘お染は、丁稚久松と恋仲になる。しかし久松にはすでに許婚がいる。「この世で報われぬ恋ならば、せめてあの世で」と心中を……。
……私、日舞でこれ、踊りました。しかし久松役。。残念!
「麻の葉のようにすくすくと元気に育て」と願いを込めて、父、母がこしらえてくれた麻の葉のきものを着て、恋に真っ正直に突き進んでいった乙女の哀れさ、切なさが江戸時代の町民の心をとらえたのでしょうか?
※「日本のきまり文様」シリーズの過去記事はこちら