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高橋美登里礼法きもの学院

あの頃

2011.04.12

どんな仕事も、始めたばかりの頃は知らない事だらけです。自分の技術、知識はもちろん、”業界の常識”的なこともわからないことがいっぱいです。ゆえに、大胆な行動に打って出ることもできるわけです。

“着物の先生”で生計を立てていこうと決めた私は、短時間高収入を得るためには自宅教室だけではダメだと思っていました。企業に入り、女子社員に定時後に教えに行く。そのために、女子社員がたくさんいて福利厚生に力を入れている企業、つまり社員総数が多く、会社に余力がある一部上場の大企業を探すこと。

図書館で会社四季報を借りてきて1時間以内で通える条件にあった企業をリストアップし、営業しました。名前を知らない日本人(外国人もかな?)はいないような大企業ばかりです。
“自分を売り込む”なんてやったことがありませんので、それはそれは大変でした。担当者にアポイントを取ろうと、午前10時に電話の前に座りましたが、こわくて受話器が持てません。意を決して1本目の電話をかけたのは、午後2時過ぎでした。
どうやらそれが1つの大きな壁だったようで、それを乗り越えたら、あとは何とか頑張れて、何社か会ってくださることになり、そのうちの数社でお稽古させていただける事になりました。おそらく「あんな大きな会社はすでに入っているだろう」と誰も手を出さなかったのでしょう。無知の勝利です!そして時代が良かったもの事実。まだかろうじてバブルでしたから。

一番最初にとれた会社はなんと36人も生徒さんが集まってくださいました。その中の一人が、ある日小さな小さな鉢植えを持ってきてくれました。会社で配っていたので、私のために1鉢持ってきてくれたのでした。葉っぱが4枚ついた小さな「お金のなる木」です。正式な学名は何て言うんでしょうね。それが今ではこんなに大きくなりました。

あの頃

これを見るたびに私、思うんです。「あぁ、今ならもっと上手にきものを教えてあげられるのに」って。たった4枚の葉っぱのように、ほんの少しの知識や技術しかなかったあの頃。ハッタリだけで何とか仕事をしていたように思います。この木の増えた葉っぱの分だけ、失敗したり、勉強したりして今の自分があるんだと。
この木を見るたびに、あの頃の生徒さんたちへの申し訳ない気持ちを忘れずに仕事をしないといけないと思うのです。