2015.08.31
地元自治会の幹部(?)だけが着る事を許されている半纏(はんてん)。
夏祭りの打ち合わせに行っていた主人が「これ、祭りで着るように、って貸してくれた♪」と半纏片手にご機嫌で帰ってきました。
背中につけられた大きな家紋。お祭りなどではよく「祭」や「禮」といった字も見かけます。あるいは「神田」や「築地」といった地名だったり、植木屋さんの半纏には「庭」と書かれていたり。「め組」などの字は、江戸時代の火消し組織「いろは48組」からきているのでしょう。48組といっても、縁起の悪い「ひ組」や語呂の悪い「ん組」などはなかったそうですよ。ならばもちろん「い組」や「ろ組」はあったのでしょうが、やはり「め組」の辰五郎親分がダントツで有名でしょうか?
いずれにせよ、元来、背中に背負った印は所属などを表すものなので、その組織に愛情と誇りがあれば、半纏を着られることは嬉しいですよね。
さて、自治会の半纏。丸い窓から、頭を少しのぞかせたこの家紋「のぞき紋」といって、略式というか遊びの紋。
全部を見せずに、あえて頭少しだけを覗かせるのが、粋なのでしょうね。
この家紋の全体像はこちらの桜紋。
そして、こんな風に家紋全体を白く染め抜いたものが家紋の中では一番格式が高く「日向紋」あるいは「表紋」といい、留袖や喪服には必ずこの様式の紋をつけます。
ちなみに、家紋にはこの「表紋」の他に、家紋の縁取りだけを白く染め抜いた「陰紋」や、糸を使って刺繍で家紋を表現する「縫い紋」などがあります。
地元自治会の正式家紋がこの桜紋なのか、というより、そもそも地元自治会に家紋があるのか、わかりませんが、揃いの半纏は志気が上がりますよね。お祭り当日はお天気に恵まれ、半纏はかなり暑かったようですが、けが人もなく、今年も無事大成功でした♪
家紋といえば…高橋家の家紋はこちら「祇園守り」です。
かの豊臣秀吉に「その忠義は鎮西(九州)一、その剛勇も鎮西一」と言わしめた戦国武将の立花宗茂と同じ家紋。
と、いうことが判明し、立花宗茂の書物を読み漁り、婿養子に入った立花宗茂の実父は高橋紹運であったが分かり、にわかに「オレは立花宗茂の末裔説」が浮上した我が家…
きっと耳が痛いどこぞの輩もいらっしゃるかと思いますが、この立花宗茂「いやしくも義に背いて生きんよりは、むしろ死するにしかず」と、言っていたとか。武士の鑑! こんなご先祖様だったら嬉しい〜♪
家紋には夢とロマンがありますね〜。